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マーケターとして
大学を卒業と同時に、入った会社はお菓子のメーカー。
当時は神戸に住み、大阪の会社へ入社しました。 そこで任されたのは、子供向けのお菓子の企画。食べるの大好き!な私にとってとても楽しい仕事でした。
以来、10年以上数社でマーケテイングプランナーとして仕事をすることになります。
苦あれば・・・・
20代も半ばを過ぎて、大変な事件に見舞われました。 それは、阪神淡路大震災での被災。
朝5時47分。ぐっすり眠っていたとき突然の激しい衝撃。そして、洋服ダンスの下敷きに。 名前を呼ぶ母の声を頼りに、自力で這い出しました。 マンションの4階に住んでいたのですが、1階が潰れ、2階の窓から脱出。
奇跡的にかすり傷にすんだものの、家は全壊で、母と近くの小学校へ非難しました。 講堂で、体育のマットを敷いての生活。とにかく寒くて、何か必要なものを書いてくださいと回覧がまわってきたときには「毛布」と書きました。
配給されるわずかなパンを母と分けあいながら、それでも生きていたことに感謝しました。 このときの気持ちは、今でもずっと心にあります。 生きていることへの感謝・・・というか、普通の生活がとてもいとおしくなる瞬間があるのです。
明石屋さんま風に言うと「生きてるだけでまるもうけ」。そんな感じでしょうか。 小学校へ避難した後、親の田舎へ疎開することに。
伊丹空港へついて、水道の蛇口から水がでていること、それで手や顔を洗えることに感動しました。 しばらくお風呂はおろか手や顔も洗えなかったのです。
随分と汚い格好をしていたと思います。 時間の経過と共に、現実的になり、失ったものやこれからのことで不安にもなりました。
被災から1、2ヶ月は、グレーの洋服しか着れない精神状態・・・ カラフルなもの、派手なものはどうしても受け付けなかったのです。
辛い時はいつでも自然が癒してくれます。 田舎の自然が、そして当時1歳だった最愛の甥っ子の笑顔が全てを失っても生きる勇気をあたえてくれました。
色がわからない!
震災後上京し、仕事を探しました。
10社以上の人材バンクに登録し、毎日のように面接を受けました。 そして縁あって就いた仕事が化粧品のプランニング。
基礎化粧品、メイクアップ用品など様々な商品を企画しました。 仕事は本当に充実していて、ずっとこの仕事を続けたい!そう思っていました。
そこでぶつかった壁・・・ それが色がわからない!ということ。 被災後、カラフルな色を遠ざけていた反動もあったようです。
鮮やかな色の楽しさや配色の美しさ、それがなかなか上手く表現できませんでした。 又、微妙な色を言葉で表現することの難しさも感じました。
リップやネイルなど近い色のサンプルを探して提示するのですが、できあがった商品の色がイメージと違っても上手く説明できない。 本当に困ってしまいました。
カラーセミナーに参加する
そのような時、ビジネスカラーセミナーに参加する機会に恵まれました。
大変多くのビジネスマン、ビジネスウーマンが参加していました。 その席で、先生に着ていたセーターの色を「あなたにお似合いの色ね!」
と言っていただき、それが強烈な印象に。 瞬時に、似合う似合わないを判断することができるスキルは素晴らしいなと思いました。
他にも2日でカラーの基礎を取得するセミナーにも会社から行かせてもらいましたが 明度、彩度の違いもわからないまま・・・ やはり色って難しい。
それが素直な感想でした。 それでも、「色」を意識して、様々な本や資料を手にするようになりました。 メイクやファッションで、大胆な色も試すようになり、少しづつ色の楽しさに目覚めたころです。
もともと鮮やかな色彩を好む「関西人」。色のパワーをもらうことで、気持ちもより前向きに回復していったようです。
そうこうするうちに、社内結婚で退職。 転職して職場は青山から丸の内へ変わり、憧れの?丸の内OLに! お給料のほどんどが銀座でのお買い物に消えてゆきました。
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